最後は化粧水で冷却保湿ブログ:2023/03/15
ボクは両親と離れて住んだことが今までない。
生まれた時からボクが21歳になるまで、
一番長い時間離れていたのは
ボクが修学旅行に行った時の5日間ぐらい…
特に、
ボクと母の関係は特別で、
ボクのお子様の頃のあだ名は
「母のしっぽ」だった。
ただの一秒も
母のそばを離れないということから、
誰かが私につけたあだ名だ。
だが、ボクも年を重ねると、
母のそばにいつも一緒にいるのは
だんだん難しくなった。
学校の授業、仲間との遊び、サークル活動、バイトなど
ボクと母の間にはいろんな邪魔者が増えてきた。
そんな中…
ボクの1年間の交換留学は、
両親にとって「衝撃的なニュース」であった。
自分の女の子が外国で暮らす…など
想像もつかないことだった両親。
しかし、
両親は笑顔でボクに「さようなら」を言った。
別れの時、ボクは馬鹿みたいに空港で、
「わああんわああん」
声を出して泣いてしまった。
父親はおととし退職。
貧しくはないが、決して裕福ではない家庭、
これがボクの家庭だ。
また、今まで離れて暮らしたことない女の子を、
外国に送り出す両親の心はどうだっただろう…
彼らも心の涙を流したはずだ。
飛行機の中でボクは決意した。
これから、一人で立ってみよう。
両親に絶対心配をかけない。
そこで、考えたのは
自分の生活費は自分で稼ぐこと。
ボクには何も言ってくれないが、
父親も退職したことだし、
きっとお金の問題があるはずだと思って
バイトをすることにした。
バイトができる資格証をもらった後で
ボクはすぐバイト先を決めた。
ホテルでのバイトとレストランでのバイト。
二つのバイトは簡単ではなかったが、
生活費には充分だった。
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